オブリビオン

金曜ロードショーで観ました。

多分何分かカットしてあったので、ちょっと場面転換が唐突に感じたところはありましたが。

ラスト上手く終わらせたなーと思いました(笑)。


ある宇宙飛行士の無数のクローンのうちの一人が主人公で、その主人公として描かれた個体は、宇宙空間にある人工知能?を破壊するため、妻を地球に残して死んでしまいます。

でも三年後、地球で生き残っていたクローンの一人が妻を探し当て、ハッピーエンドということでした。


つまりこの映画では、クローン同士がそれぞれ独立した人格を持っているのではなく、全員が元の宇宙飛行士の人格を等しく共有しているという設定です。

スピやら潜在意識やら願望実現やらの分野では有名な、無数のパラレルワールドに無数のバージョンの自分がいて、どこかのパラレルワールドでは既に願望が実現している。という説がありますが、そういう考え方とこの映画の結末は、ちょっと似ているような気もしました。

要は、この世界の自分(=本作における死んだクローン)が叶えなくても、他の平行世界の自分(=生き残ったクローン)が叶えてくれれば、それはこの世界の自分にとっても等しく叶ったことになる、ということです。もう少し補足説明が必要ですが(^_^;)


願望実現の仕組みの説明にパラレルワールドの理論を用いることは、非常に魅力的なアイディアです。恐らく願望実現やら潜在意識やらに足を踏み入れた誰もが、一度は取り憑かれたように調べまくることではないかと思います(笑)。

まあ他ならぬ自分もその一人だったんですが(笑)、数年間、納得は出来ませんでした(笑)。やっぱり別の世界の自分とこの世界の自分は違うと思うよ・・・とか、つまり自分が「叶った世界」の自分になり代わっちゃうということ?そしたら、なんか申し訳ないような何かがチガウ気がするような・・・とか、ずっと疑問があったのですが。


しかし最近ようやく、体感や不思議体験等は一切無いものの、論理的には納得出来てきました。要は所有権=エゴの放棄が鍵だと思います。そのとき、逆説的に全てのものが手に入るというか・・・

このたった一人の自分=エゴの身に起きた現象として体験しないと、願望が叶ったと認めない。という発想からは、普通の頭ならどうしても抜けられないと思うんですが(自分もまだそうなので笑)、それすらも条件づけなんですね。「自分=エゴが現象化だと確信出来ることが起こる」という条件を満たさないと、願望が叶ったことにはしない、と自分が決めているだけなんです。

もし他の世界の自分が叶えたのだったら、それを自分の体験としても構わないのではないか?すごくうさんくさい、「全ては一つ」とか「全ては自分」というスピ的標語を真実だとするならば。そして、通常の意味での「現象」として自分の身には未だ起こってはいないように思えるが、それを紛れもない自分の体験として採用したとき、叶った世界の自分と統合され、結果として願望が叶った状態に至る。ということだと思います、論理的には。

その、「自分の体験として採用する」というのが、パラレルワールド移動の手段とされる「周波数を合わせる」という行為に当たるのだろうと思います。

つまり、「叶った世界」の自分を蹴落としてなり代わるわけではなく(笑)、「叶った自分」と「叶っていない自分」の間の分離が解消され、統合されるんですね。

で、その統合というのが、スピやら潜在意識やらで言われる、あらゆるものが対極と分離で成り立っている(ように見える)この物質世界に生まれてきた目的、ということなんだろうなと思います。


ええ何言ってるか分からないですよね(笑)自分もいまだによく分かりません(^_^;)


この映画も、多分エゴ的発想だと、いやいや違う個体だしwこんなんアリかよwという感想になると思うのですが(笑)、「たった一人の自分」にこだわるエゴを捨ててみたら、まあ、全く同じ無数の自分のうちの一人だから、アリなのか・・・ということになるのかなと(笑)


この映画はパラレルワールドの話じゃないのでちょっとややこしくなりますが(笑)、パラレルワールドの自分というのを、この映画におけるクローンのようなものだと考えてみたら、日頃抱いていた疑問に何となく答えが出た気がしました。

まあ合ってるのかどうかは分からないですが・・・(笑)

けっこう思索の深まった映画でした。(笑)


コメント

このブログの人気の投稿

イカで復活?

低FODMAP食三日間の感想

サイゼリヤ