羽仁未央さんのこと・・・

昨日知って、本当に驚いたのですが、羽仁未央さん2014年に亡くなってたんですね・・・

ここのところ本を手放すかどうかの判別を毎日していて、昨日もうーんと本棚を眺めていたところ、羽仁未央さんのエッセイが目に付いて(これは手放す気ゼロです。笑)そういや今何してらっしゃるんだろう?SNSとかやってらっしゃるんだろうか?と思って検索窓にお名前を入力してみたら、関連ワードに「死去」・・・?!

はあ?!と思ってクリックしたら・・・既に二年以上前のこととなっていたニュースを、今知ることになりました・・・


いろいろなメディアでご活躍されていましたが、実は自分が触れることの出来ていた情報はあまり多くなく、『夢見る場所は場所も夢見る』『香港は路の上』の二冊の本を持っているのと、あとは、何年前になるんだろう?多分15年くらい前の大学受験生の頃、ラジオ深夜便でインタビューが放送されているのを聴いて、わーお元気なんだ!と思ったのを最後に、私の中では情報が止まっていました・・・




『夢見る場所は場所も夢見る』は五歳の頃、幼稚園での本の定期購入のカタログに載っていて、保護者向けの本だろうのに「これ絶対ほしい!」と言って買ってもらいました。

当時の自分は既に小学校低学年用の本は読んでいましたが、そのレベルであの本の内容を理解出来ていたのかどうかは今となっては分からないものの(笑)、とても気に入ってずっと読んでいた記憶があります。

その後もずっと好きな本で、大きくなるにつれて内容の理解も深まり(笑)、というか何故幼稚園児があれを夢中になって読んでいたのか(^_^;)今も手元にあります。




『香港は路の上』はそのずっと後、大学の学部生時代の休学期間に、多分香港関係の文献を漁っていた際に発見して購入したと思います。

当時はまだネットも今ほど日常に密着しておらず、羽仁未央さんについてネットで検索したりすることも、思いつきすらしませんでした。なのでそのとき初めてこの本が出版されていたことを知って、羽仁未央さん香港だけの本も書いてらっしゃったんだ!と喜び勇んで買ったような気がします(笑)こちらもかれこれ10年ほど、時折開く本の一つになっています。


『夢見る場所は場所も夢見る』は完全にサブリミナルだったというか(笑)、自分が何故縁もゆかりもない香港という土地、そして香港映画を、これまで執拗に愛し続けているのか?と自問してみるに、やはりこの本が原因だとしか思えません(笑)

この本の中の、羽仁未央さんの感性を通して描かれた80年代の香港は、今でもとても魅力的です。

当時は多分香港映画は第一次黄金時代かな?チョウ・ユンファ、『男たちの挽歌』の時代ですかね・・・自分はこの時期に関しては、リアルタイムでは体験していませんが・・・

その後ウォン・カーウァイ無双というか(笑)、90年代半ばの、ウォン・カーウァイ映画に出演していた金城くんやフェイ・ウォンが日本でも大人気になったような時代を経て、後半には97年の返還という重大な出来事もあり、さらにファッションや雑貨といった分野でもアジアブームがピークを迎え、そのいろんな方向からの波に、巻き込まれていることすら気付かず日々楽しく過ごしていたような気がします。今思うとすごく幸せな時代でした(笑)

ただ、当時は『夢見る場所は場所も夢見る』と、香港映画というのが、自分の中で結びついて認識はされていなかったんですよね、妙なことに・・・(^_^;)

それもサブリミナルの成せる技、潜在意識への刻印故でしょうか・・・(笑)潜在意識に刻印すると、行動の動機は無意識の彼方へ、つまり顕在意識では因果関係が認識出来なくなってしまうらしいので・・・まあこれは全然別の話です(笑)

何だかこの本と私の人生に関してはぐるぐる巻きのシンクロニシティが発生しているような気もするのですが(笑)、簡単に言うと、この本がなかったら、私の人生には香港も香港映画も存在していなかった、ということは断言出来ると思います・・・


そんなに自分にとって重要な本を書いた方なのに、これまで全くネットで情報を検索することがなかったのも、妙な話です・・・

あと、お父様が有名な映画監督ということも知っていましたが、これまでその作品を観ようと思ったこともなく・・・すみません(^_^;)

何というか、羽仁未央さんに対して野次馬的な興味が全くなかったんだと思います・・・じゃあ誰かについてネットで検索したら野次馬なのか、と言われるとそういうわけでもないと思いますが・・・(笑)

で、今更Amazonで検索してみて知ったのですが(^_^;)、羽仁未央さん自身も香港で『妖獣大戦』という映画を監督したり、恐らくサブカル系の日本映画ですが『ヘリウッド』という映画に出演もなさっていたようです。




香港で映画の現場に取材?で出入りしたり、映画関係の原稿を書いていることはエッセイ中で書かれていた記憶がありましたが、監督をなさっていたことは知りませんでした。

高校生の頃聴いたラジオ深夜便のインタビューでは、教育関係のお仕事をしながらアジアを行ったり来たりしているというようなことをおっしゃっていた記憶がありますが、そのラジオ深夜便を録音したMD(!)はもう手元にありません。あっても機器がないので聴けません・・・MDって・・・今むしろカセットテープのほうがまだ生き残ってる感あるような(笑)


なんだか、いろいろなことを思い出して懐かしくなったり、時代の変化に呆然としたり・・・


『夢見る場所は場所も夢見る』では香港生活に関するエッセイは全体の1/3ほどで、その他は幼少期の思い出に関する文章がほとんどです。それを読んでいた実際子どもだった私の姿と、羽仁未央さんの幼少期が二重のノスタルジーを形成するからか、今読むと非常にややこしい情緒を喚起します。(笑)

いやはや、この本を幼稚園児の頃に読んでしまったのが、良かったのか悪かったのか。(笑)ともかく、私の人生を構成してきた重要な一冊ではあります・・・

私はもちろん面識も何もないただの一読者でしたが、心の中では五歳の頃からずっと一緒に過ごしてきた面白いお姉さん、と勝手に認識していたのかもしれません。(笑)

その人が、二年ちょっと前に亡くなっていた。私はそれを昨日まで全く知らなかった。亡くなったことを知った後、その人に関して初めて知ったこともあった。

全てが妙な感じです。

ある時間の円が閉じて終わってしまったような、その続きはもう無くて、そこからどうなるんだ?とゼロの中に放り出されたような・・・


羽仁未央さんのご本の中には、「この世の天国」が詰め込まれている気がします。月並みな言葉ですが、今、あちらの天国で幸せに過ごしていらっしゃるといいなと思います。

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